京都の和菓子屋に「亀屋」「鶴屋」が多いのはなぜ?|江戸の上菓子屋248軒と屋号の決まり

結論から書きます。京都の和菓子屋に「亀屋」「鶴屋」が多いのは、縁起がいいからだけではありません。江戸時代の京都では、上等な菓子を作れる店が248軒に限られ、新しく店を出すには廃業した店の屋号を譲り受ける決まりがありました。屋号は考えるものではなく、受け継ぐものだったのです。

この記事では、その決まりの中身と、京都にある亀屋・鶴屋の数、店ごとの名前の由来を、資料をもとに整理します。

「亀屋」「鶴屋」はなぜ菓子屋の名前になったのか

出発点は縁起です。「鶴は千年、亀は万年」という長寿の言葉は、祝いの席で使う菓子と相性がよく、江戸時代にはすでに亀屋・鶴屋が菓子屋の代名詞のようになっていたといいます。

京都の本家 鶴屋長信は、亀屋・鶴屋を名乗ることは「いいかげんな商品は作らない、技術があるんだ」という客への宣言でもあった、と説明しています。同じ店は、本家筋に亀屋5軒・鶴屋2軒の「五亀二鶴」があったとも伝えていますが、どの店を指すのかははっきりしません。

江戸時代の京都では、上菓子屋は248軒に限られていた

江戸時代の京都で、茶席や朝廷の儀式に使う上等な菓子(上菓子)を作れたのは、「上菓子屋仲間」という同業組合に入った店だけでした。白砂糖を使えるのも、仲間の店に限られていました。

同志社女子大学の林淳一さんの講演録「京菓子」(『調理科学』16巻1号、1983年)によると、仲間の移り変わりは次のとおりです。

年 できごと
安永4年(1775年) 上菓子屋仲間を組織し、京都町奉行所の認可を得る
天明8年(1788年) 大火で仲間が一時廃止
享和3年(1803年) 仲間を再び組織し、248軒に制限。うち禁裏御用達は28軒
天保の改革 仲間が禁止される
嘉永7年(1854年) 再び248軒で仲間を結成
慶応4年(1868年) 534軒で商法会所が発足。明治に営業の自由が認められ、組合は力を失っていく

江戸時代のほとんどの期間、京都で上菓子を作れる店の数には上限があった、ということです。

新しく店を出すには、廃業した店の屋号を譲り受けた

数に上限があると、新しく店を出す方法が限られます。同じ講演録によると、享和3年に仲間の認可を申請したときの定書には、次のような決まりがありました。

  • 組合の名簿に登録し、仲間の数を増やさない
  • 別家・分家が開業するときは、空株(廃業した菓子屋)の屋号を譲り受ける
  • すでにある店の一町四方には、新しい店を出さない

つまり、暖簾分けで独立する職人も、自分で新しい屋号を考えることはできず、空いた屋号を受け継ぐしかありませんでした。林さんは、屋号が続いているからといって血統が続いているとは言えない、とも注意しています。

亀屋・鶴屋という名前が、株と一緒に人から人へ渡っていったと考えると、同じ屋号の店が街に多いことにも説明がつきます(ここは筆者の推測です)。

明治22〜23年ごろには、亀屋の屋号を名乗る菓子屋が集まって「亀屋会」をつくり、菓子の図集『菓子模様』3巻を編んでいます。会をつくれるほど、亀屋が多かったということです。

数えてみた:京都の老舗と百名店に占める亀と鶴

いまの京都ではどうなのか。2つの一覧から、屋号に亀か鶴がつく店を数えました。

一覧 亀・鶴の店 店名
京の老舗表彰 第1回(昭和43年)京都市内の菓子屋41軒 8軒(亀6・鶴2) 亀末廣、亀屋重久、亀屋清永、亀屋良永、亀屋良長、亀屋陸奥、鶴屋吉信、鶴屋長信
食べログ 和菓子 百名店2026(WEST)京都の店 6軒(亀6・鶴0) 亀末廣、亀屋良永、亀屋良長 本店、亀屋清永、亀廣永、亀屋陸奥

京の老舗表彰は、京都府が100年以上家業を続ける店を表彰する制度です。受彰一覧には業種の欄がないため、並び順から菓子屋の範囲を判断して数えています。それでも、100年続く菓子屋のおよそ5軒に1軒が亀か鶴でした。

今年の百名店では、亀が6軒入り、鶴は0軒でした。鶴屋吉信のように店舗の多い鶴の店もあるので、鶴が弱いわけではありません。ただ、1軒ごとの評価で並べると、残っているのは亀ばかりです。

京都の主な亀屋と、名前の由来

同じ「亀屋」でも、名前の由来は店ごとにまったく違います。公式サイトや取材記事で由来を確認できた店をまとめました。

店 創業 名前の由来
亀屋陸奥(西本願寺前) 応永28年(1421年)と伝わる 代々伝わる木彫りの亀と、朝廷から賜った「陸奥大掾」を合わせた名。店主は「五亀二鶴」の流れとは違うと話している
亀屋良長(四条堀川) 享和3年(1803年) 亀屋良安で番頭をしていた初代が、店の焼失を機に独立
亀屋良永(寺町御池) 天保3年(1832年) 「大文字屋」として創業し、万延元年(1860年)に亀屋へ改名
亀屋則克 大正5年(1916年) 「京の三大亀屋」のひとつ、亀屋良則からの暖簾分け

亀屋良長の元の店である亀屋良安は、安永7年(1778年)の名物評判記で、蒸菓子の第一人者と評された店です。

調べた範囲では、長寿の縁起を屋号の理由として公式に説明している亀屋は見当たりませんでした。京都の亀は、縁起のメッセージというより、「どこから分かれ、誰の名前を受け継いだか」を示す印として残ってきたのかもしれません(ここも推測です)。

よくある質問

京都には亀屋と鶴屋、どちらが多いですか?

亀屋です。昭和43年の京の老舗表彰では、京都市内の菓子屋のうち亀が6軒、鶴が2軒でした。2026年の食べログ和菓子百名店(WEST)でも、京都の店は亀が6軒、鶴は0軒です。

「亀屋◯◯」という店どうしは親戚ですか?

親戚とは限りません。亀屋則克のように暖簾分けでつながる店もあれば、亀屋陸奥のように別の由来をもつ店もあります。江戸時代は屋号が株と一緒に譲られたので、同じ屋号でも血筋は別ということがありえます。

見分けるにはどうすればいいですか?

店の公式サイトの「沿革」や「歴史」のページで、最初の屋号、暖簾を分けた元の店、亀の由来の3つを見るのが早道です。似た名前の店が、別々の店に見えてきます。

関連記事

出典

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール