京都のご利益は、実は後づけだった|六波羅蜜寺の厄除けと皇服茶の由来

六波羅蜜寺は「厄除けのお寺」として知られていますが、なで牛や銭洗い弁財天のような後づけのご利益より先に、平安時代の疫病対策が始まりだったのだと思います。

空也上人の施茶——始まりは951年の疫病対策

天暦5年(951年)、都で疫病が流行したときに、空也上人が自ら刻んだ十一面観音像を車に乗せて市中を引き歩き、念仏を唱えながら病人にお茶をふるまったのが、この寺の始まりです。最初の寺名は西光寺でした。

そのお茶は結び昆布と小さな梅干しを入れた煎茶で、村上天皇も服したことから、のちに「皇服茶」と呼ばれるようになったと伝わります。皇服茶は今も正月三が日だけふるまわれていて、当時と同じ結び昆布と梅干しが入っているそうです。

寺名も、あとから複数の説明が積み重なっている

空也の死から26年後の貞元2年(977年)、比叡山延暦寺の僧・中信がこの寺を「六波羅蜜寺」と改称し、天台宗の別院にしました。名前は仏教の修行徳目「六波羅蜜」にちなむとされていますが、この一帯が古くから「六原」と呼ばれていたことに由来するという説もあるようです。

つまり寺の名前も、厄除けの中身も、あとから複数の説明が積み重なっているのですね。

住所は京都市東山区ロクロ町81-1。京阪「清水五条」駅から徒歩約8分、市バス「清水道」から徒歩約5分です。境内は8時30分から16時30分まで、寺宝を収める令和館(宝物館)は9時から16時15分(最終受付16時)まで、拝観料は大人600円です。

まとめ——正月三が日だけの皇服茶

初詣や正月の習わしには、由来を知らずに続けているものが他にもありそうです。六波羅蜜寺の皇服茶も、正月三が日にふるまわれる意味を知っておくと、参拝の見え方が少し変わってくると思います。

「ご利益の理由」シリーズはこのあとも続けます。次は商売の神として知られる伏見稲荷を取り上げる予定です。

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