京都 四神相応とは何か|平安京の都市設計を現地で確認した記録

四神相応とは何か

四神相応とは、四方を守る霊獣の配置条件が揃った土地を「最も守られた都市」とする思想だ。中国の風水思想が起源で、7〜8世紀の日本に輸入された。

桓武天皇は794年、この4条件が揃う土地として現在の京都盆地を選んだ。北に山、東に川、南に池、西に道。それが今の京都だ。

方角霊獣地形の条件京都での対応
玄武(亀と蛇)船岡山・北山
朱雀(赤い鳥)池・湖・海巨椋池(現在は干拓済み)
青龍(青い龍)賀茂川(鴨川)
西白虎(白い虎)山陰道

現地で確認できる四神相応

北:船岡山(標高112m)

観光地ではない。建勲神社が建つ低い山だ。平安京の設計において北の基点とされた場所がここだ。上賀茂神社から南を見ると、この山を軸に平安京が設計されたことがわかる。現在も地形は変わっていない。

東:賀茂川(鴨川)

今も流れている。平安京の東の守りとして青龍の川とされた。1200年以上、川の位置は変わっていない。鴨川デルタから三条大橋まで歩くと、この川が平安京の東側を規定していたことが体感できる。

南:巨椋池(現在は存在しない)

かつて京都南部に広がっていた広大な池(周囲約16km)が朱雀の条件を満たしていた。1933年から8年かけて干拓され、現在は久御山町・宇治市の農地になっている。地図の上でのみ確認できる。

西:山陰道

川や山ではなく「道」が守護の条件になっているのが興味深い。道は人と物資の流れを制御する。当時の山陰道は西日本への幹線だった。現在の山陰本線がほぼ同じルートを走っている。

四神相応を知ると何が変わるか

この設計を知った上で御所周辺を歩くと、見えるものが変わる。御所が北に偏っている理由がわかる。玄武(北の守り)に守られた最も安全な場所に天皇の居所を置いた。南に向かって開いた構造が、朱雀大路という南北の軸線を生んだ。

朱雀大路の後継は今の千本通だ。ただし、現在の御所は当時の大内裏より東に移っているため、千本通は御所の西側を走っている。平安京の中心軸と今の御所の位置がずれていることは、移住して歩き始めるまで気づかなかった。それでも、碁盤の目状の街路の骨格は今も機能している。

実際の歩き方

  1. 早朝6時、上賀茂神社へ。北山を背景に一の鳥居の前に立つ。観光客が来る前の時間帯。
  2. 千本通を南北に歩く。今出川から五条あたりまで歩くと朱雀大路の後継を体感できる(約3km)。御所の西側を通る軸線だ。
  3. 鴨川の東岸を北上。賀茂大橋から葵橋あたりまで歩く。川の東側に寺社が集中している理由がわかる。

1日で全部歩ける距離だ。

まとめ

京都が1200年続いた理由の一端は、都市設計の段階で地形の論理に従ったことにある。観光で来ると表面しか見えない。住んで歩き続けると、都市の骨格が見えてくる。四神相応は、今も機能している。


このブログは、大企業23年でやめた50代が、京都での暮らしと自分設計を記録するメディア「蚊帳の外」の記事です。note:https://note.com/kayanosoto_solo

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