京都には「ここにお参りすれば芸能の道で成功する」「ここは安産の神様」と言われる神社がいくつもあります。移住して3年、実際に由来を調べてみると、いま知られている「ご利益」の多くは、神社ができた最初の理由ではなく、あとから積み重なった話だとわかってきました。「ご利益の理由」シリーズ第2弾は、芸能で知られる車折神社の芸能神社と、安産で知られる敷地神社(通称:わら天神宮)を取り上げます。
芸能神社(車折神社)——玉垣は記念碑ではなく、2年更新の掲示
芸能神社の朱色の玉垣は、一度奉納すれば残り続ける記念碑ではなく、2年ごとに更新の手続きが必要な有料の掲示だと思います。
芸能神社は車折神社の境内にある摂社で、昭和32年(1957年)に天宇受売命を分祀して創建されました。天宇受売命は、天照大神が天の岩戸に隠れた際に舞を舞って誘い出したとされる神で、芸能・芸術の始祖として信仰されています。
境内にずらりと並ぶ朱の玉垣は、車折神社の公式サイトによると1枚21,000円で、掲載期間は申込日から2年間と決まっています。申し込めるのはプロ・アマを問わず芸能・芸術・技芸に携わる本人か正式な代理人だけで、ファンからの申し込みは受け付けていません。字体を統一するため担当職員が1人ですべて手書きしていて、申し込みから掲載まで2カ月前後かかるそうです。
つまりあの景色は、一度きりの記念ではなく、本人が2年おきに更新を続けている名前の集まりなのだと思います。ずっと変わらないように見える場所ほど、実は中身が定期的に入れ替わっているということがあるようです。
住所は京都市右京区嵯峨朝日町23番地。嵐電(京福電鉄)嵐山本線「車折神社」駅から徒歩約1分です。境内は24時間参拝自由で、授与所は9時30分から17時までです。
敷地神社(わら天神宮)——安産は、氷室で働く出稼ぎ労働者の望郷心から
敷地神社(通称:わら天神宮)は、最初から安産の神社だったわけではないと思います。
もとは平安京ができる前からこの北山の地にいた、土地の神様でした。転機は天長8年(831年)です。この地に氷室が作られ、氷の管理をする役目のために加賀国(今の石川県)から人が移り住んできます。彼らが故郷で拝んでいた神様をこの地に勧請して隣に祀り、その母神にあたる木花開耶姫命もあわせて祭神に定めたのが、今の姿の始まりです。
つまり安産の神様が祀られるようになったきっかけは、氷を扱う出稼ぎ労働者の望郷心であって、安産を願ってのことではなかったのですね。木花開耶姫命が瓊瓊杵尊と結ばれ一夜で身ごもり、3人の子を続けて産んだという神話から、後になって安産・子授けの信仰が積み重なっていったようです。
「わら天神」という通称も同じ順番です。お供えを入れる藁の籠からこぼれ落ちた藁を、妊婦さんが持ち帰るようになったのが先で、それを見た神社側が後から藁を切って授与するようになりました。藁に節があれば男の子、なければ女の子という占いも、この後づけの延長のはずです。
1397年には、足利義満が金閣寺を建てる際に参拝が不便になったという理由だけで、今の場所に移されています。ご利益も、場所さえも、理由はあとから積み重なっていくものなのですね。
住所は京都市北区衣笠天神森町10。市バス「わら天神前」停留所からすぐです。境内・授与所ともに8時30分から17時までで、定休日はありません。安産の御守(初穂料300円)は授与所でいただけます。
まとめ——ご利益は、あとからついてくる
芸能神社と敷地神社に共通しているのは、いまの「ご利益」が神社のできた最初の理由ではなく、時代や生活の必要の中で後からついてきたという点です。芸能の道で成功を願うにせよ、安産を願うにせよ、その奥にある由来を知っておくと、参拝の見え方が少し変わってくると思います。
「ご利益の理由」シリーズはこのあとも続けます。次は厄除けで知られる六波羅蜜寺を取り上げる予定です。