京都のご利益は、実は後づけだった|御金神社と安井金比羅宮の由来

京都には「ここに行けば金運が上がる」「ここでお祈りすれば悪縁が切れる」と言われる神社がいくつもあります。移住して3年、実際に足を運んで由来を調べてみると、いま知られている「ご利益」は、神社ができた最初の理由ではなく、あとから生まれた話であることが多いと気づきました。今回は、金運で知られる御金神社と、縁切りで知られる安井金比羅宮を取り上げます。

御金神社——金運の神社ではなく、金属と鉱山の神社

京都で金運といえば御金神社ですが、もとから金運の神社だったわけではないと思います。

祭神は金山毘古命。伊邪那岐と伊邪那美の子で、本来は金属や鉱山を司る神様で、お金そのものを祀っているわけではありません。

もとは個人の家の中に祀られていた邸内社でした。金属にゆかりのある神様ということで参拝を願う人が絶えなかったため、1883年(明治16年)、金光教の信者だった田中庄吉という人物が現在地に社殿を建て、「御金神社」と名付けたのが始まりだそうです。

金運の神社という看板は、最初からあったわけではなく、金属の神様のところに人が集まった結果、あとからついてきた話なんだと思います。

住所は京都市中京区押西洞院町614。地下鉄烏丸線・東西線「烏丸御池駅」から徒歩約5分です。境内は自由に参拝でき、お守りなどの授与所は10時から16時までです。

安井金比羅宮——切っているのは他人ではなく、自分の未練

安井金比羅宮の縁切りは、他人を呪う神社ではなく、自分の未練を断ち切った人の話が由来だと思います。

祭神の一柱は崇徳天皇。保元の乱(1156年)に敗れて讃岐へ配流され、寵愛した阿波内侍と引き離されたまま、その地で亡くなりました。当宮の由緒によると、崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って籠られたことから、当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきたそうです。

由緒にはさらに、戦によって心ならずも阿波内侍と別れることになった崇徳上皇が、人々が自分のような悲しい境遇にあわぬようにと、あらゆる悪縁を断ち切ってくれる、とあります。切っているのは他人との縁である前に、上皇自身の未練だったわけです。

いま参拝客の願い事(形代)で真っ白になっているあの巨石「縁切り縁結び碑」自体は、668年からの由緒に比べるとずっと新しく作られたものだと言われています。長い歴史の中で、いま一番目立っている「顔」が、実は一番新しい部分だったりするのだと思います。

住所は京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70。祇園四条駅から徒歩5分、阪急京都河原町駅から徒歩2分です。縁切り縁結び碑への祈願は24時間可能ですが、お守りなどの授与所は9時から17時30分までです。

まとめ——ご利益は、あとからついてくる

二つの神社に共通しているのは、いまのご利益が神社のできた最初の理由ではなく、祭神や立地、時代の中で後からついてきたという点です。金運や縁切りという分かりやすい看板の奥には、それぞれ別の歴史があります。京都のご利益スポットを巡るなら、そのあたりの由来もあわせて知っておくと、参拝の見え方が少し変わってくると思います。

「ご利益の理由」シリーズはこのあとも続けます。次は縁結びの定番、地主神社を取り上げる予定です。

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